僕の心はひび割れたビー玉さ

かわいいかわいいジャニーズくんたちを愛でるための場所

吾輩はヲタクである

 


はじめまして。
はてなブログさんは好きなブロガーさんの更新情報を受取りたくて登録したのですが、せっかく登録したから更新してみようかな。
ということでまず最初は自己紹介からします。

なまえ:あおい
とし:もうすぐ20代半ばに突入するぐらい
せいそくち:神奈川県の田舎
以上です。てへ
タイトル通りヲタクの話をしますが、
私はジャニーズヲタク、通称ジャニヲタと言われる部類の人間であります。
担当は山田涼介くん、松村北斗くん、小瀧望くん、中島健人くん、中山優馬くん。えぇ、DDです。
去年はそれに加え玉森裕太さんもいたのですが、約1年半に渡る倦怠期の末、担降りという形になりました。ちなみに隠れ伊野尾慧担でもありますが、あくまでも隠れです。
山田涼介くんを筆頭に彼らを愛でているわけですが、いろんな子が気になって仕方がない年頃でございます。ちなみに只今絶賛気になり中なのは橋本涼くん。年下過ぎて恐ろしい。

さて、ジャニヲタになったきっかけからお話しようかなと思ったのですが一体どこからが始まりなのか。前日Twitterのタグで「#お前らジャニーズの最初の推し誰だよ」っていうのを見て、担当ではなくあえて推しという言葉を選んでいることを考えた結果、堂本剛さんという結果に落ち着いた。97年にデビューしたKinKiさん、当時私は5歳でしたが(さっき歳誤魔化したのに早速バレる)、ママがファンだったのだろうかデビュー曲の『硝子の少年』が車の中でいつも流れていた記憶がある。その頃の記憶としては会話はいつもママと姉と私とで、光一くんと剛くんはどっちがかっこいいか。だった。ちなみに私とママは剛くん、姉は光一くんだった。この頃担当という言葉があったかどうかは知らないけど、間違いなく初めて「推した」ジャニーズは堂本剛くん。
その頃から放送がスタートした『学校へ行こう!』にハマりだした私達親子の次の推しとなるのはカミセンの三宅くんと森田剛くん。割と放送初め頃から見ていたと思うけど、その頃私と姉は毎日習い事があり放送がある日は急いで家に帰っていた記憶があるようなないような…。今みたいにHDDで何でも録画できる時代じゃなかったから見逃したこともかなりあったけど。テレビの前で三宅くんがいいか、森田剛くんがいいかの論争が行われていたわけなんだけど、KinKiのときと同様私とママは三宅くん、姉は森田剛くん「推し」であった。ちなみに、この間ママがいきなり私に、
"あんた岡田くんと結婚してよ!あたし岡田くんだったら許すよ"
と言ってきた。その数日後またママが
"ねぇ!岡田くん宮崎あおいちゃんと付き合ってるんだって?もうだめじゃん!"
と興奮気味に言ってきた。いや、そんなこと知ってたしと心の中でツッコミを入れていたらそれを聞いていた姉が
"盛大なあおい違いだね"
と華麗にツッコミを入れました。同じあおいですけど出来上がりにとんでもない差が出たよ。

だいぶ話が逸れたので戻すと、堂本剛くんの次が三宅くんっていうことね。ここまではママ発信からだったんだけど、その後私はある出会いをする。
それは亀梨和也さんである。亀梨和也という人物は金八先生に出ていたのでなんとなくは知っていた程度。衝撃の出会いがいつどこでなのかは覚えてはいないが、05年の1月〜のドラマ『ごくせん』に出る前だったことは確か。亀ちゃんごくせん出るの?見なきゃ!となった記憶がかすかにある。ってことは多分04年だろう。衝撃の出会いと言っておきながらその出会いの事を覚えてないのはどうかと思うがね。04年は私は小6だった。その時私に一体何があったのだろう。その後中学生になった私は中学3年間亀ちゃん亀ちゃんと言いながら過ぎていった。ちなみにその当時の彼氏はジャニーズが嫌いで私が亀ちゃんと言う度に、"亀梨とかまじ爬虫類"と言われ続けた記憶がある。亀が爬虫類だからと、亀ちゃんが爬虫類顔だということらしい。そんな彼に亀ちゃんのどアップの写真を使った年賀状を送った。
当時家は母子家庭だったこともありかなり貧乏で(習い事してたけどね。ママは昼も夜も働いてくれてたなぁ、ママありがとう!)お小遣いとかもらってなかったからCD買ったり(KAT-TUNのデビューアルバムは残ったお年玉で、SIGNALと僕らの街ではおじいちゃん家に行った時にもらったお小遣いで買ったけどね。その後は買ってない)雑誌買ったりできなかったんだけど、もはや学年中に知れ渡っていただろう私の亀梨フィーバーのおかげで当時他担だった子たちが亀ちゃんの切り抜きとかくれて生徒手帳に大事に入れたりしてた。そんな亀梨フィーバーの最中にHey! Say! JUMPがデビュー。当時学校でバレーボールがかなり流行っていた事もあって給食の時間にUMPがしょっちゅう流れてた。その頃は、へぇ〜Hey! Say! JUMPっていうのがデビューしたのね。ぐらいの感じ。(デビュー当時私中3)多分やぶひかぐらいしか認識してなかったかもしれない。学校にも今でいうとびっこがいてその子たちから情報を仕入れなんとなくメンバーを把握したぐらい。(いのちゃんと大ちゃんはなかなか覚えられなかったけど)

さて、そんな私がいつ亀ちゃんから山田担になったのだろうか。それは不明である。(大事なところはいつも不明)中学時代の友達は皆私の頭は亀ちゃんしかなかったというので中学時代は亀梨担だったのだろう。高校時代の友達に聞くと皆私が亀梨担だったことを知らない。え、山田じゃないの?って。高校進学ぐらいで変わったのだろうけどわからない。いつ、どのタイミングなの?っていう。わからないけど、約4年ほどの亀梨担があっけなく終了。どのタイミングで山田担になったのか不明なので08年〜ということにしてある。そっから山田だけ!ということにもならず。じゃあ他に担当いたの?ということでもなく。全く違うところに熱が向いていたのだ。
それはB'zとMr.Children。ジャンルが違いすぎる。先ほど出てきた亀ちゃんを爬虫類だと罵った元カレとはJUMPがデビューする8ヵ月前ぐらいに別れたんだけど(別にその説明いらない)その元カレがB'zとMr.Childrenヲタクだったのよ。別れてから急激にB'zとMr.Childrenへの熱が上がってしまったというわけです。ちなみに小学生低学年ぐらいからずっと続いているコナンヲタクも合わさってる。(ちなみにコナンヲタクは今も健在)だから高校時代仲良かったお友達は山田担ということは知ってたけどそれ以外の人はB'z、Mr.Childrenが好きなやつ。ぐらいに思ってただろう。元々ヲタク気質なところがあるので好きになったら突き詰めたい。小学生3.4年生頃にモーニング娘。がかなり流行ってて(辻ちゃん加護ちゃんの絶盛期)将来は加護ちゃんになりたいと思っていた。部屋にはミニモニのポスター、ブロマイドもかなり集めててそれを入れるケースも全てモー娘。壁掛け時計からゴミ箱まで徹底してモー娘。でしたね。

話を戻して、他の事に目を向けつつ山田くんも好きだな〜レベル。高校にジャニヲタさんいなかったから。(いたかもしれないけど理系クラスだったため女子がほとんどいなかった)
WILLCOMの待ち受けはずっと山田くんだったけどね。
専門学校に入学して同じクラスに偶然にも山田担の子が!そこでフツフツと山田熱が上がってきてCDもDVDも持ってなかったから(JUMP NO.1は持ってた)その子に借りたりして家帰ってニヤニヤ見るのが楽しみでしたね。

そんな私が2012年10月にまた新たな出会いがあった。日本テレビ系の土曜深夜ドラマ『piece』である。そこで出会ったのが松村北斗くんだ。(優馬くんではない。いつから優馬担であったかはなんとなくの時期さえわからないけど、多分NYCboys以降だと思う)中山優馬w/B.I.Shadow時代のときはごめんだけど全く知らなかった。そもそも『w/B.I.Shadow』が読めなくて中山優馬とその他って心の中では読んでた。『悪魔な恋』が発売されたときCDショップで『中山優馬w/B.I.Shadow』を見た時はなんだこれは!と衝撃を受けた記憶があるだけで優馬君以外は知らなかったなぁ。
だから北斗くんに関しては一目惚れなのかな。っていっても北斗くんが演じていた矢内先輩に惚れたっていうのが正しいけど。んでそっから北斗くんのこと調べまくってバカレアとか見まくってた。てか、北斗くんのイメージってピンクだったんだけどSix TONESでのメンバーカラーって黒なのね。

先ほど述べた優馬くんに関しては本当に全くいつ担当になったのかが不透明すぎて。だいたいの時期さえも不明なのであれなんだけど、バッテリーに出た時にその時の主題歌がMr.Childrenだったからジャニーズの子のドラマっていう印象しかなくて、左目探偵にゲスト出演してたけどまったく覚えてないし、私の中で謎の中山優馬ぴんとこなのときには既に担当入りしてたからなぁ。NYCの写真集も山田を見て優馬くん見ての繰り返ししてたし(知念くんごめんね)。ただ、今担当として言えるのは彼にはハマりすぎてはいけないと思ってる。彼は底なし沼である。ハマったら二度と抜け出せない、と思ってる。既に片足ハマってますけど、彼の魅了は映像よりも生の方がいいってことね。もちろんドラマとかの映像も好きだけど、彼の魅了は生で見たほうが感じられる。人を引きつける能力が物凄くある。残念ながら今年のツアーはなさそうだけど、先日見た『それいゆ』も素晴らしかったし、11月から始まる『クロスハート』も楽しみ。

続いて中島健人くん。彼はスクラップティーチャーやってるときに知った。入所がその年の4月だから入所後すぐ知った感じなのかなぁ。その当時は山田くんしか見えてなかったから私の記憶の中にさほどの印象は残っていないけど。Sexy Zoneとしてデビューしたときも、"あ、デビューしたのね"ってぐらいだったし。デビューしたとき健人くんより聡ちゃんのほうがある意味気になってたし。(すげーチンパンジーみたいな子がいるってw)例のごとくいつ担当になったのかは定かではないけど、『Real Sexy/BAD BOYS』のCDは買っていたからその頃かなと。桐木司好きだったなー。そのあとのラブホリは毎週ニヤニヤしながら見てた。懐かしい。

最後は小瀧望くん。2013-2014のカウコンにて『ジャニーズWEST4』としてデビューが発表されたほんの何ヶ月か前から気になりだしていた。多分私は強火山田担なジャニーズの方が好きなようで。あの頃に気になりだして『ええじゃないか』の発売少し前ぐらいに担当に昇格。なにわともあれ、に行かなかったこと今でも後悔してる。だって流星担のお友達のチケットは取ってあげたんだもん。最初彼を担当にするのは少し抵抗があった。年下すぎるよ!って思ったけど北斗くんと1つしか歳が変わらないってことに気付き解決。今では1番愛でているであろう。(って言っておきながら今年の初めに急激な冷め期到来してましたけど)1から100まで世話してあげたい究極な弟キャラがとてつもなく愛おしい。

そんな感じでヲタクやっているわけなのですが、"ジャニヲタ"という部類になってからはまだまだ日が浅い。
自分の中で"ジャニーズファン"と"ジャニーズヲタク"の境界線があるので、(境界線の話すると長くなるので省略)実際自分がヲタクという領域に踏み込んだのは2013年。初めての現場は2014年の『Hey! Say! JUMP LiVE with me in TOKYO DOME』である。
こんな短い期間にクソDDに成長したわけですが、1番は山田涼介。それはこれからもきっと変わらない。もし変わる時がくるのであれば私はジャニヲタを辞めるであろう。
ジャニーズを好きになってからもう19年ですが、ヲタクデビューしてからまだ3年。
新規感は全くないけど、割とまだ新規なのかもしれない。
そんな私の自己紹介でした。